読書録#16 Kazuo Ishiguro “A Pale View of Hills”

去年の年末年始に何をしていたか思い返したら、京大Wallのみんなと九州のクライミングツアーだった。そして今年はPeak Districtのクライミングツアー。山と人が好きなのだ。

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久々にテキスト以外の本を読了したので記録をつけておく。イギリスに来てから時間が無かったのだ。Kazuo Ishiguro “A Pale View of Hills“. 和訳は「遠い山なみの光」。光…?

1982年リリースのイシグロの処女長編で、舞台は戦後まもなくの長崎、エツ子とサチ子という女性、たぶん20代半ばか後半だろう、二人の奇妙な友人関係を描いている。物語はサチ子の突拍子も無い挙動と、それに翻弄される幼い娘のマリ子の生活、それから妊娠中のエツ子と夫の次郎を訪ねてきた義父のオガタさんが話の軸。

サチ子もオガタさんも戦争に翻弄され新しい時代をそれぞれの方法で生きている哀しさがあり、それらが現代(1980年代)のイングランドの田舎町に住むエツ子の回想という形で語られる。エツ子は次郎との結婚が破たんしイギリス人と結ばれて移住したのだ。連れ子(次郎の子)であった娘ケイ子が最近自殺した。イギリス人の夫との間に生まれた娘ニキとは何かと価値観がすれ違う、という設定。しかも冬のイングランドそぼ降る雨、雨。とにかく暗い。

イシグロはこの作品で「想像の日本を書いた」と大江健三郎に語ったらしいが、確かに多くの箇所で戦後の日本では不自然に思われたり、随分単純化された表層的な設定だなあというところがあり、最新作のBuried Giantや代表作のNever Let Me Goと比べても描写が浅いという感じがする。主人公のエツ子と夫、義父の描写などは、なんとなく小津安二郎の映画を見た人の話を聞いているみたいな感覚を得る。描写が浅くて2次的・3次的な心的体験のように思われるのだ。作家としての円熟もあると思うが、イシグロが初期に日本をテーマにした作品を書いたあとは、作品の舞台を主にイギリスに移したのは、やっぱり彼の中で日本をとらえきれなかったからだと思う。

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それでも興味ぶかかったのは、女性たちの描かれ模様だ。エツ子とサチ子は戦後の日本、しかも長崎という特異なコンテキストに置かれているのだが、二人の生きざまは時代や場所に囚われず現代の人間の心にも観察できるものではないかと思う。Naverまとめでは「戦後日本の混乱の中で傷つきながらかすかな希望の光を求めて生きる人々…云々」という解釈があったが、そんなに明るくないし、前向きじゃないし、自分たちの生きざまと切り離すことが出来ない、とても怖い作品だと思う。

サチ子は在日米軍と懇意になり、彼を頼ってアメリカに行くの行かないのという騒動を繰り返す。自分のやっている事が馬鹿馬鹿しいだと知りながら、どこか別の土地(たとえばアメリカ)を理想化して「自分が居るべき場所はココではない」と落ち着きなく、ムリヤリ正当化した理由をでっちあげ、焦りを隠せない。そんな母の言動に翻弄されるマリ子は心が壊れていく。

エツ子はサチ子のように自分から新しい人生を求めたりしない、慎み深い典型的な昔気質の日本女性として描かれている。しかし、自分の立場を一生懸命正当化し、自分自身を納得させようとするが、戦死した恋人を慕うエピソードや、次郎にないがしろにされるオガタさんへの優しさから、次郎との結婚生活が幸せでない事がほのめかされる。何より、奔放にふるまうサチ子と友人関係を持つこと自体、コンサバティブな彼女がサチ子へ少し屈折した憧れを持っていることを表しており、端的にエツ子の心を語っている。

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イギリスでの生活はある意味もっと凄惨だったともいえるだろう。次郎との結婚生活からエツ子を救ってくれた2人目の夫は、血のつながらない娘に対して冷淡だったのだ。エツ子は長女ケイ子の不遇の責任を暗に自分が日本から連れてきたことへ帰すが、次女のニキはそんな母親に対してそれは違うと反論する。といっても「慰め」というより、自分でリスクをとって正しいと思う方向に動かなきゃならない、という自分の意見の表明としてであり、母への批判でもある。

エツ子はとても優しく寛容なのだ。その優しさはしばしば、自分自身や愛する人、彼女の庇護を必要とする人をないがしろにする行為まで許してしまう。

これはサチ子と在日米軍の愛人との関係も似ている。サチ子はほとんど裏切られることを確信しながら「フランクさんは私を愛してるの、心配しなくていいの。いいでしょうアメリカよ。」という感じでエツ子に自慢するが、サチ子がもし本当に自分のやっている事を愛し、フランクさんを愛しているなら、こんなことを言うだろうか。

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他の人と付き合うときは、その人が自分を愛し、自分のやっている事を愛せるように付き合いたい。これはフラットメイトから学んだことだ。彼女は人間と付き合うのが好きで好きでそれが1つの悩みだという。人と会う予定が大学の課題と重なってしまったり、いろんな人と関わりたいけれど時間が足りなくて、それでも人と付き合うのが楽しいのだそうだ。彼女は嫉妬とか競争とかをほとんど語らない。そして例えば家族に愛を注ぐ母・妻としての生き方も良いが、より多くの人を愛したいのだという。そう言った彼女の顔は美しかった。ちなみに彼女はカトリックだ。

先日、KenptownのSt.Gerge Churchで催されたクリスマスキャロルに行ってみた。イギリス国教会系の教会だが、司祭さんがプログレッシブでLGBTIに関する運動を宗教者として後押ししている。割合にこぢんまりした教会の中には、40人ほどだろうか、火をともした細長いキャンドルを手にした参列者が集まっていた。1時間ほどのなかで朗読とお説教そしてクリスマスの唄が響いた。お説教の途中で「集った皆さんで挨拶をかわしましょう、恥ずかしがらずに歩き回ってください」と司祭さんが言い、参加者がぐるぐると室内を周り「May God be with you」と言葉を交わす。

ひとを愛することやその形、それだけで疎外されたりしいたげられたりする人が沢山いる。話しかけることはできなかったけれど、そこで出会った人たちは誠実に闘っている人たちだと想像する。苦難を受けても前を向いて生きている人の目はとても澄んでいるように思われる。

 

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イギリスに来て4か月が過ぎる。悩みや迷いは尽きないけれど悩んで自分で選んだ道は、きっと胸をはって歩けるはず。今年はそんな年にしたい。

朝イチで最後のエッセイ課題を提出して、Gatwick空港と空港バスに翻弄された2017お正月ツアー最終日。

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