読書録#9『群馬の隠れキリシタン』

京都住まいの最後の日は、ルームメイトとお別れして、大学の授業に出てから、京都駅へ直行。新幹線の北向きの窓側の席をキープして、京都の景色を見ていたら、ノスタルジックになって泣けてきた。隣の席のおじさんは、気を遣ってくれたのか、20分位姿を消してくれた。ちなみに、女性の涙の75%くらいは、一時的な感情の発散なので、慰めはしても真剣に捉えずやり過ごしたらいいと思う。

引越しの前に、仕事の関係や、大学の先生など、会っておきたかった人にも会えた。そのうちの1人は、学生の時に6年間介護のボランティアでお世話になった李清美さん。施設に入らずに、自立して生活を送っていて、その暮らしすべてを障害者運動に投じている。

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自分自身のギムについて考えるチャンスをくれた人。寮の繋がりで誘われて始めたが、京大の社会派の人たちの運動、というと相当偏っていると見られるかもしれない。それでもいい。左とか右とかを超えたトコロでリベラルにあるための勉強ができたと思う。

さて、実家に帰ったら物置に大きな本棚ができていて、父の蔵書が並べられつつあった。その中で真っ先に目についた本↓

田中澄江著(1992)『群馬の隠れキリシタン』

前職の業務の中で、大阪府茨木市にある「隠れキリシタンの里」の観光活性化に、少しだけ関わったことがある。当地はキリシタン大名であった高山右近の領地にも近く、数々の貴重なキリシタン遺物が発見された場所だ。長崎や平戸だけではないのである。迫害をうけながら信仰を守り通した隠れキリシタンの物語は、凄絶かつ謎めいていてで、ショッキングなものであった。そんな関わりがあり、隠れキリシタンの歴史には興味があった。

さて、この本を手にとってまず驚いたのは、「群馬は北関東で一番隠れキリシタンが多いところ」であり、著者は「沼田藩」や「猿ケ京の関所」と隠れキリシタンの繋がりを追いかけていくこと。沼田といえば真田の居城があり、城跡のほど近くに、私の通った高校がある。猿ケ京といえば同じ町内だ。

隠れキリシタンの歴史、またはカトリックの日本における布教について、少し触れる。戦国時代、日本にカトリックをもたらしたのは、イエズス会のフランシスコ・ザビエルである。まずは鉄砲などの交易を目的とした大名が、カトリックに親しみ、長崎周辺だけでなく、山口の大内氏や、大分の大友氏、高槻の高山氏など、大名の庇護や信心のもと、地方でも信者の数が次第に増えていった。

1600年ころの信者数は30万人を数えたらしい。当時の日本の人口が1220万人くらいだから、人口比で言えば2%くらい。現在、カトリック信者の人口は0.3%というから、かなりの割合である。ザビエルの入国した1549年以来、たった半世紀で大きな伸びをみたのは、人間はみな同じとした信仰が、武士を頂点とした社会に不満を持っていた庶民、女性たちに受け入れられたからだと著者は言う。

このようなカトリックの勢力拡大を、ポルトガルの外交政策(侵略)とみた秀吉は禁教令を発布し、弾圧をする。徳川政権もこれを引き継ぐ。しかし、弾圧に立ち向かい殉教する信者や修道士の姿は感動を誘い、虐げらることによる連帯感は信仰心を補強し、「隠れキリシタン」として日本各地に深く根付くことになる。

著者は当時のカトリック教会が、ポルトガル。スペインの国益のために、日本の領土を狙っていたという見方に疑問を投げかける。カトリックの国となったフィリピンなど、宣教師が活動していた東南アジアと違って、日本は武士による統治システムが発展しており、容易に教会領を寄進することが無いことくらい、ザビエル達にはわかったであろう、と言う。

さらに、宗教革命以来、プロテスタントとの競争が激しくなっていたカトリックが、新世界で新たな経済的地盤を得る試みという面は認めながらも、純粋な神の教えを広める活動でなければ、修道士たちはどうして度重なる弾圧にあっても日本に残ったのか、どうして危険を犯してまで信仰を守る人達がいたのか、と。
ちなみに、著者はカトリック信者である。

真相は白と黒の間だろう。

ただし、アジアの長期の地域史の把握を試みた『海の帝国』にあるように、当時の東南アジアが王たちが海域を含めた勢力圏伸び縮みを繰り返す、「海のまんだら」状態であり、明確な領土というものを持っていなかったなら、交易や目先の敵との競争に優位となることを積極的に行っていたのは理解できる。日本の大名も貿易を期待し、秀吉も当初はキリスト教に好意的であった。

その後、江戸時代を通してずっと禁教。明治になっても国家神道への国民性の統一を図った政府により、1873年に信仰の自由が認められるまで、強烈な弾圧にあう。西欧列強国の影響を恐れたためである。

 

日本の各地にキリシタンは散り、ひと目を盗んで生き続けた。群馬では、鉱山や石切り場のあるところ、キリシタン大名と繋がりのある土地で、かなりの信者が居たらしい。川場村、館林、鬼石、そして沼田など。おもしろいのは真言宗のお寺に多くの墓石が残っているということだ。真言宗の教祖、空海が唐に留学していたおり、景教との交わりがあり、両者に親和性があるのではないかと著者はいう。

そして、沼田藩がキリシタンにかなり寛容だったのではないか、とも述べられている。事実、沼田市内のお寺にはキリシタンの墓が残り、真田の家臣にもキリシタンがいたらしい。そのため、沼田領内では禁教時代にも信者が増え、最も取り締まりが厳しくあるべきである関所でも、役人自身がキリシタンであった痕跡があるそうだ。

これまで私が考えていた以上に、カトリックの文化は、ずっと根深く日本と群馬に広がっているようだ。中世のある時期に一瞬だけ、ものすごいスピードで広がり、その信仰は200年の時を経ても根強く続いていた。明治に禁教が解けたとき、多くの隠れキリシタンが名乗りでたのだ。

なぜか。
その理由のひとつに、身分が厳然と分かれていたためとか、社会的事情があるだろう。人びとがカトリックの教えを求めていた。もうひとつは、日本の土着文化がカトリックの信仰を受容しやすく、カトリックもある程度土地に馴染んでいったということがあると思う。

本の中にはこれについて言及があり「天皇が日本に来る前の人々(の血を引いている人々)」は、キリスト教の教えを受け入れやすいのではないか、というくだりが出てくる。

この見方はどうであろう。
神道のバイブルとも言える古事記をみれば、確かに日本列島がうまれてから推古天皇の話であり、天皇の命令で書かれた物語でもある。そして、のちのち、国家神道と結び付けられる正統性の起源の物語でもある。

しかし、その最初のストーリーは、権力装置としては非常にごちゃごちゃしていて、もっと昔から根付いていたアニミズムの精神を思わせる。国産みの物語は、神様同士が交わって、どんどん神様の数が増える話だ。1パラグラフ全部新しい神様の名前でびっしりみたいな部分もある。植物で言えばまさに「繁茂」という言葉がぴったりくる。

アニミズム的な神道が文化的な素地になっている(宗教として意識されるわけではなく)ことを考えれば、その上にカトリックが成立しても不思議はない。カトリックの教義はほとんど知らないので、ちゃんと調べないといけないが、一神教とはいえ、日本土着の八百万の神々が競合しなかった部分があるのだろう。著者の言及を私なりに言い換えれば、天皇制は横に置いて、アニミズム的な神道の精神が基盤にある場合、カトリックはスムーズに受け入れられる、ということになる。ちなみに、皇族にはカトリック信者が多いそうだ。

そしてもう一点、読んで感じたことは、カトリックの信仰の根強さだ。
花を咲かせ続けるのではなく、堅いタネとして地面に落ちて、何百年の冬眠を越えても、復活するパワーがあるように思われる。先に書いたように、明治にキリシタンとして名乗り出た人達は、カタチが変わっていたとしても、何百年もその信仰心を捨てなかった。また、群馬は新島襄と内村鑑三という、2人の有名なキリスト者を産んだ土地でもあり、深く埋めこまれたカトリック文化があったのではないか。

仕事で訪れた茨木の隠れキリシタンの里(千提寺という)には、市立の「キリシタン遺物資料館」があり、地域の方が職員として勤めておられて、お願いすれば細やかに説明をしてくれる。当地では隠れに隠れて、信仰は断絶してしまったため、昔から代々クリスチャンであるという家はない。しかし、資料館でお会いした方の中で、長い間クリスチャンの洗礼を受けたという方がいらっしゃった。婚家が多くのキリシタン遺物が発見された「隠れ」の家で、長い間、古老の話す物語を聞いて暮らすうちに、信仰を持つようになったという。

どうしてそんなに強い意思が持てて、それが長い時間を経て受け継がれたんだろう?

 

ちなみに、著者の田中澄江は、プロテスタント系の学校を出て、第二次世界大戦後にカトリックの洗礼を受けたひとだ。山をこよなく愛し「花の百名山」というシリーズも書いている。なんとなく、文体やスタンスが須賀敦子に似ているような気がした。育ちが似ているからだろうか、あの時代にクリスチャンの学校で勉学を修めた女性たちの、独特の感覚があるのだろうか。

著者は上毛新聞社の人に案内されて、群馬の隠れキリシタンの痕跡を丹念に追う。隠れキリシタンのお墓の特徴は、戒名の頭に、星を表す「天」「歳」がつくこと、景教を表す「景」がつくこと、梅の浮き彫りがあること、十字が刻まれていることなどだそうだが、一概にそうとも決めつけられないらしい。「隠れ」なのでわかりにくいのは当然だ。川場村のマリア像と思われる野仏や、沼田市内のお寺の母子像など、分かりやすい遺跡もある。

いずれも、当時の人たちの情念や息遣いが、ふつふつと感じられるように思う。

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