変わりゆく日雇い労働者のまちを歩いた

今日はインバウンド観光の調査で、あべのハルカスの阪南大学キャンパスへ。お話を聞いた松村先生は、新今宮でゼミ生と外国人向けツアーを取り組んでいる方。実際に第一フロントを走る研究者だ。

ヒアリングに一区切すると、「時間があれば…」と先生が先頭にたち、まちへ。西成区の簡易宿所を何軒か見せて頂く。写真のゲストハウスは、100室近あり、稼働率は9割を越えるとか。

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日本のカオサンという感じ?

あるいは、もっとディープかも

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西成区といえば、日雇い労働者のまち、釜ヶ崎がある。公園には野宿者がたくさん暮らしていた。

先生の馴染みの洋食屋でご飯を食べ、じゃりン子チエが通ったはずの萩ノ茶屋小学校跡地わきを通り抜け、

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歩道に張り巡らされた、野宿者よけのフェンスを横目に歩くと、

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カラフルなグラフティアートが。

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これも、まちづくりの取り組みとして、先生が仕掛けたもの。企業スポンサーを得て、関西トップクラスのグラフティアーティストに声をかけたそうだ。その世界の仁義で、上手いアーティストの作品は、上から落書きされることが無いらしい。はしっこには、「アセラズクサラズアキラメズ」の文字。

そのあとは、萩ノ茶屋の「あいりん福祉労働センター」へ。日雇い労働者を斡旋したり、技能講習をしている施設。病院も併設されており、上層階は市営住宅になっている。釜ヶ崎が日雇い労働者のまちになったのは、月のうちに所定日数の日雇いで働けば、失業手当(アブレ手当)を受給することができるという、日雇い労働者のための手帳、白手帳を扱えるこのセンターがあるためだ。

日雇い労働者は朝早くセンターに集まり、手配師と呼ばれる斡旋業者に連れられて、現場に向かう。それがかつての労働の形態だったから、情報も人も西成に集まってきて、ストックも積み重ねられた。しかし、現代は個々人が携帯を持って、どこに居てもいつでも人材派遣会社とコンタクトできるから、地理的な集積は必要無くなっている。西成の簡易宿所が必要無くなって、生活保護世帯のための「福祉マンション」に姿を変える代りに、大阪どこでもネカフェ難民がいる。

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少し歩けば、通天閣のある新世界へ。メインからはずれた商店街は、半分も店が開いていない状態。

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ただし、新しい兆しもある。その一つが、急激に増える外国人観光客。カナダ人オーナーが経営する堺の刃物を扱うお店も見学。

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本当にお忙しいはずなのに、案内をしてくれた先生に感謝。先生と一緒にいかなければ、絶対に足を踏み入れないところもたくさんあった。

京都に帰っても刺激が醒めず、ずっと気になってた四条大宮の飲み屋横丁にて締め。ディープな大阪と京都をハシゴ。今回は一番手前のお店に入ったけど、次は奥のお店にトライ?

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