Kazuo Ishiguro “THE BURIED GIANT” (カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』)

The most melancholic fantasy novel ever,
Record of Reading ④


引越しが一段落したので、もう少しというところで放置していた本を読了。1ヶ月くらいかかってしまった…

初めて読むカズオ・イシグロの著作。ブッカー賞を受賞した人気作家の10年ぶりの長編だそうだが、なにせ初めて読むので特に感慨なく購入。

まずもって言えることは…

こんなに陰鬱なファンタジーは他にない

購入時、Amazon商品紹介を読んでまず、こんなワクワクしないファンタジーってあるのか?全然読みたくないぞ,,,と思った。
物語を紹介すると以下のとおり。

The Buried GiantThe Buried Giant

「舞台は6世紀頃、ドラゴンやオーグが跋扈するのイギリス。ブリトン人とサクソン人が敵対しつつも一応の平和を保っている世界。
ある日、自分たちの記憶が、村を覆う霧と共に「失われている」ことに気づいた老夫婦が、かつて愛していたはずだが、記憶から抜け落ちてしまった、自分たちの息子に会うため、旅に出る。」

これだけでも、濡れたウールのコートでくるまれたような陰鬱さが感じられるし、設定も謎すぎる…

本当にこんな暗い話なのかと疑ったが、本当にこんな話だった。

ドラゴンの息、たちこめる霧

主人公は、記憶を取り戻しに、そして最愛の(はずの)息子に会うために、ブリトン人の共同体を離れ旅に出る老夫婦AxlとBeatrice。

旅の途中で彼らは、遠国からドラゴンを討つためにやってきた戦士のWistan、謎めいた傷をもち村八分にされた少年Edwin、アーサー王の命をうけドラゴンを追い続けるナイトのGawainと出会い、ドラゴンの息が生み出す霧で人々の記憶が奪われているということを知る。

霧を晴らし、忘れられた美しい思い出を取り戻したいと願いつつも、すべてを思い出した時に、変わらず愛し合い続けられるのか、と不安を抱えながら二人は旅を続ける。

実は、この「記憶を取り戻す」という作業は、彼ら二人の関係性だけではなく、ブリトンとサクソンが維持している一応の平和にも、致命的な崩壊をもたらすものである。人々は忘れているが、2つの民族は遠くない過去に血で血を洗う戦争をしていたのである。霧はこの歴史を覆い隠し、とりあえずの和解を保つために、世界にかけられた目くらましの魔法なのだ。

「忘却」と、記憶と歴史のアナロジー

「歴史上の忘却」はイシグロの長きに渡るテーマだそうだ。集団が歴史をいかに忘れて、とりあえずの繁栄を得ようとするか。忘却の効用として、ツライ記憶を忘れたことにしておけば、当座の痛みは減らせる。しかし記憶がなければ、私たちは自由を失っているのと同じであり、ちゃんとした人間じゃない。だからといって忘れられた記憶を掘り起こせば、憎しみも蘇ってしまう(The New Yorker)

ヒトの記憶は脳みそのニューロンの繋がりで形成されていて、願望や心の平穏のために、時には歪んだり後から作られたりするというが、人間のコミュニティが持つ歴史もこれに似ている。当座の安定のために、そして誰かの利益のために、一部の出来事は忘れられながら、記録されていく。「忘れること」は、個人の記憶についても、共同体の持つ歴史についても、同じような効用を持っているのだ。

インタビュー(AAWW The Margin)から引くと、ドラゴンの息は「歴史の忘却を強制する」ことを意味し、力によって機能する権力装置の象徴で、この力が加わって見せかけの平和が成立しているという。これは、現実の世界に簡単に置き換えられる。

物語の中でも、民衆は昨日のことすらぽっかり忘れてしまうが、戦士であるWistanやGawainは、ちゃんと過去の出来事を覚えているように思われる。しかし、ドラゴンを討伐しようとするのも彼ら自身だ。王のしもべというのは、権力に服従しているというのは、そういうことなのだろう。

さらにイシグロは、忘れられた歴史(The Buried Giant)つまり、封印された忌まわしい過去は、どんなコミュニティや国にも存在するという。例えば、アメリカだったらネイティブ・アメリカンの虐殺とかいった、暗澹たる歴史のことである。

そして、忘れることを強いられ、ふんわりした安穏に満足している時、人々は自ら悪いことをしなくても、幾ばくか悪に加担しているという。これはWWⅡ後に生きる日本人にとってもおなじみの言説だろう。いじめを見ているキミも加害者というのも同じか。

イシグロがファンタジーという手法をとったのは、普遍性を追求するためだろう。直接的に語れば、政治的になりすぎて小説でなくなってしまうし、どこかの誰かを責めるという構図になるのは避けられないからだ。

自由を得て、痛みを得ること

物語のひとつのテーマは、歴史的忘却の産物である強いられた安穏を、いつまでも得られると思っているの?という警句を発することだと思う。本の中でも、最後は戦が迫っているることが示唆されており、現実の世界においても安定を得ていた国や地域、また思想が、日々侵食されていることを考えれば、警句というより宣告と言えるかもしれない。

とはいえ、救いのない話は読みたくない。
知ることは痛みや苦しみを伴い、憎しみを呼び起こすかもしれないが、自由を得ることでもある。物語の中での救いは、戦士の才能を持ったサクソン人のEdwin少年が、母親をブリトン人に奪われたという過去を持ち、敵を憎めと教えられながらも、歴史を知った上で、それを乗り越えていく予感・願いが込められて描かれている。

もうひとつテーマがあるとすれば、それはAxlとBeatriceの愛の物語だと思う。人間は辛くて悲しくて結局最後は独りだけれど、それでも人生を全うするより仕方ないよね、という愛に満ちた諦念のような眼差し。
ケセラセラすぎる解釈かもしれない。

何にせよ、謎がいっぱいの物語なので、いつか読み返したら発見が沢山ありそうだ。神と人間の関係の所など、殆どスルーして読んでしまった。著者の代表作『日の名残り』や『わたしを離さないで』も必読かな…

それから、東大阪に行ったこと

他日、仕事の合間に、たまたま東大阪にある「司馬遼太郎記念館」に行った。サツキの花が咲く新緑の中に佇む記念館は、ファンタジーの中のお城のようだった。ちなみに安藤忠雄設計。

Shiba Ryotaro Memorial Museum

Shiba Ryotaro Memorial Museum

記念館に隣接する母屋の、庭園がイチバン良く見渡せる位置に、広く窓をとった司馬の書斎は、大きな椅子が2つあり、その両方に白くて長い毛の敷物が敷いてあった。

(司馬遼太郎というと、なぜかモフッとしている…というイメージがあったのは、顔写真の背景にしばしばこの敷物のモフモフが写っているからだということに気づいた)

イシグロがファンタジーという手法でもって、歴史上の忘却を普遍的に語っているのに対して、司馬は過去を超リアルな歴史小説として再編するという、全く逆の手法で「歴史」に関わった作家と言えるだろう。

館内で上映していたDVDによれば、司馬はWWⅡが終結した時、「なぜ日本人はこんなにバカになったのか」という疑問を持ち、その思いを起点にして「エライ日本人像」を追い続けたという。そして、著作の殆どは、その疑問を持った22歳の時の自分へ向けた手紙であるという。

記念館では、蔵書と著作の多さにとにかく圧倒される。司馬の文学は、ひたすら読んで、聞いて、歩いて、記憶を掘り起こし、書き留めることによって、自分と自分の共同体の拠り所を探し、救いを求め続ける際限ない営みだったのかなと感じた。
(ただ純粋な歴史オタクだったという側面もあるのかもしれないけど…)

そういえば、引越しの時に『龍馬がゆく』とか限られた数だけれど、手元にある司馬本をまとめて処分しようかと思案したが、結局捨てなかった。全く内容が思い出せないし、今後読み返すことも無さそうだが、相変わらず本棚の固定位置に収まっている。

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Kazuo Ishiguro “THE BURIED GIANT” (カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』)」への2件のフィードバック

    • あと設定で気になるのが、この(どの?)時代、人々は大きな歴史について考えていなかっただろうということ。本の中でもそうだが、あくまで個人の記憶だよね。今も変わらないってことかなぁ。

      いいね

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